2011年10月31日月曜日

藁は大地の恵み、人をつなぐ絆

僕は、ワラ積みワークショップを通して
人間一人では生きていけない。一人で生きているわけではない。
と実感しています。本当にこころから感謝申し上げます。皆さんから、たくさんの愛情をいただいて聞思堂ができあがあっていく様は、ありがたいです。

「家はお金で買うもの」誰もが思っている事では、ないでしょうか。しかし、このお堂作りを通して、人が作り上げているものであった事を実感しています。忘れていました。この感覚に気づかせてくださた、聞思堂に感謝しています。



積みあがった藁の壁

本日やっと私も作業に携わることができました。藁の壁を作るお手伝いをしました。(ほんの一瞬でしたけれど・・・ごめんなさい)でも、ご門徒のNさんと一般参加のTさんとご一緒に、藁を積んで、しゅろ縄でしばり、竹串をさす作業のお手伝いをさせていただきました。壁のてっぺんを収める作業で、ちょっと高いところに登りました。そこで、木槌を使って竹串をさしました。

うれしかった~。この藁の壁は、人とひとがともに作り上げているんです。実は、あたりまえなんですよね。すべての家が、人とひとが協力して作り上げているんです。私たちは、実感できているでしょうか・・・。

一緒に作業をしながら、Tさんと藁を小さなブロックにして、縛る作業をしていました。その時に、藁を縛っている藁縄について

「この藁縄も誰かが、作ってくれているんですよね。」という話になりました。機械ではなく、「誰かが」という人の手のぬくもりを感じさせてくれたんです。

「そうですよね~」と深くうなづきました。藁は、私たちの生活の中で、まだまだ、重要な意味を持っているのだと思います。触れることで、感じる大自然とのつながり、そしてそこに、共にあった、先人の手のぬくもり・・・。決して一人で生きているのではないという力強いメッセージ




柱に土を塗るための竹細工を作ってくれている素敵な面々

素敵な笑顔でしょう。皆さんの協力なくしてはできません。ありがとうございます。藁や竹やそして土や多くの自然が、管理しなければならないと管理の対象にされている時代にあって、実は、大自然が人間を生命としてつなげてくれている。

謙虚に、私という存在に気づかされていく・・・。そんな体験をさせていただきました。ありがとうございます。さあ~明日はどんな出会いが待っているのでしょう。楽しみです。

是非みんさんもご一緒に体験してみてください。
住職 合掌


2011年10月29日土曜日

おかげさまで、上棟式を迎える事が出来ました。

本当にご協力いただいたみなさんありがとうございました。
それにしても、ブログを書いていると、もったいないシャッターチャンスにカメラがない悔しさを実感しますね。後日、上棟式の様子を収めた画像をなんとか公開したいと思います。

今日は藁積みワークショップの初日でもありました。
これがまた、素敵なシーンがいっぱい生まれていて、一瞬一瞬が、愛しいと思いました参加された方々で体験を語っていただければと思います。

その中でも一瞬をとらえてとった写真です。

貴重な写真です。今回の聞思堂はこの二人がいなければ建設できませんでした。出遇いはご縁です。
心からご尽力に感謝申しあげまます。どうぞお体をおいとい下さい。
本当に素敵なお二人だと思います。聞思堂にも紅白幕が美しく映えています。

カイルさんのレクチャーを聞くているところです。
今日はワークショップの初日でもあり、上棟式の準備と同時並行で、ワークショップが進んでいました。朝9時集合で勤行そして自己紹介、みんなの思いを共有しながら、ワークショップへ突入しました。参加者のみなさんキラキラでしたよ。


素敵な土塗り風景ですね。

上棟式の準備で、参加できなかったのですが、みなさん素敵な顔していましたよ。住職も平日にはカイルさんと一緒に作っていきたいとおもいます。皆さんの思いが形になるんです。すべてのお寺は平和のためにある。その願いを大切にしたいと思います。

是非ご参加ください



2011年10月28日金曜日

いよいよ明日からワークショップです

こんばんわ、いよいよ明日からワークショップです。そして、上棟式です。
実は、もちまきを行います。餅まきは、もともと神事ですが、最近は上棟式自体を仏式で行う為に仏教的な意味を考えていかなくてはなりません。

「すべてのお寺は平和の為にある。」サテイシュ・クマール師から頂いた言葉です。僕の胸の中にずっと響いています。餅まきは、富の分配という意味合いが強かったそうです。家を建てるということは、大変な事です。富を一人占めしない。一人勝ちではない文化がそこに生きていると思うのです。

平和は一人勝ちでは、成立しません。みなさんとともにある時、初めて成り立つのでありましょう。
格差社会にあって、上棟式が激減したことと、地域コミュニティーが失われていったこととつながっているのだと思います。

「懐かしい未来」という言葉の持つ深い意味合いをもう一度考えてみたいと思います。
先人が残してくれた智慧、餅まきによって地域に感謝し、大工さんの御苦労に感謝していく。そういった恩返しまたは恩送りが大切だと思うのです。

不特定多数の方へ餅まきは、むしろ恩送りの実践だと思います。いただいた御恩を地域の方々に送っていく。そういう発想を、単なる厄払い的な部分だけで評価する事は、先人の歩みに謙虚に学ぶ姿勢が見失われていると思います。

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さて、本日はカイルさんが明日の準備で少しだけ、ベイルを積んでくださいました。
善了寺の世話役 秦野さんとご一緒です。

まずはあいさつ・・あいさつ

細かな藁くずをカケイで叩いて詰め込みます。

ご夫婦で、柱にとりつける、土を定着させる仕掛けづくり

完成品はこちら
なんて素晴らしい光景でしょうか。人生の晩年に生き生きと目を光らせる事ができる。
おかげさま・・・ありがとうございます。

どうぞ、これから本番です。ご一緒に、ご一緒に

住職 合掌

本日、ストローベイルの土が着きました。

夜分に失礼いたします。
実は、昨夜歯医者さんで親知らずを抜いてしまい、歯の調子がよくないのです。痛み止めを飲むと眠たくなってしまって・・・・。こんな時間に書いています。

さて、本日夕方6時近くに、愛知県豊田市から土壁用の土が到着いたしました。
夜なのでフラッシュ撮影ですが、朝が待ち遠しいです。

豊田市の前田興業さんからご提供いただきました。香りがいいんです。生きている土という感じが伝わってきます。到着したころ、今夜は、明治学院大学猪瀬先生のゼミ生さんたちとストローベイルについての勉強会をしていました。講師は、カイルさんです。とってもわかりやすく、ストローベイルの長い歴史と現在、そして、これからの未来について語ってくださいました。

ワークショップ前にもレクチャーをお願いしています。
カイルさんのブログを紹介します。http://holzhueter.blogspot.com/
レクチャーの紹介は後日詳報したいと思います。深い文化が息づくストローベイルに、日本の左官技術を生かし、新しいチャレンジを続けているカイルさんに是非会いにきてください。

さて、いよいよワークショップが始まります。学生さんたちもレクチャーのあと実際に体験できる場所が目の前にあることに感激されていました。是非みなさんも参加してください。



現場の明かりに照らされた夜の聞思堂
 棟梁が遅くまで仕事してくれているので、ライトが付いています。ぼんやりをライトアップされている姿が素敵ですよね。御苦労さまです。

2011年10月26日水曜日

いよいよワラがやってきました。

昨夜予告していたように、本日ストローベイルが到着しました。朝は4トントラックが到着し、午前中に預けてあったベイルをとりに行っていただき、午後から搬入作業をしました。

トラックが到着しました。

ほんとに、来たんだ~という実感がありました。藁って軽いんですね。でも、種類によって、水分を含んでいると重くなるようです。土に混ぜるものと、壁に使うものと2種類のストローベイルが届いたのですが、持つとわかりますね。



茶室におかれた、土に混ぜるようのベイル
 うまく積んでくれています。今回ワークショップを担当してくれるカイルさんが積んでくれました。見事です。狭い空間にうまく積んでくれました。このベイルの方が、重かったです。



こちらが、壁用のベイル
 日の光を浴びてきれいですね。今日はお天気に恵まれました。ストローベイルのとっても気持ちのいい一日だったのではないでしょうか。

住職はじめ、みんなで力をあわせて搬入しました。わくわくしました。何だろうこの感覚。
大工さんも、鳶の方もみんな協力してくださって・・・ありがとうございます。

お堂に受け入れてもらったという感じです。お客さんではなく、本当に近しい仲間として聞思堂が受け入れてくれた・・・。そんな感覚でした。


一緒に作業してくれた、カフェ・デラ・テラ事務局の石渡さん(ゆっこさん)とカイルさんです。ひな壇みたいでしょう。ワラまみれになってもかっこいい・・・。

みなさん、働くことをもう一度考える大事な機会だと思います。「はたを楽にするから働く」という言葉を聴いた事はありませんか。みんなのしあわせが、私のしあわせになり、私のしあわせがみんなのしあわせになっていく・・・。大事な発想だと思います。

しあわせは、「仕合わせ」と書く時がありますよね。たまたまであった、仲間たちが集い、お互いに力を出し合ってしあわせが成り立っていく。

おかげさま、ありがとう・・・という心が生きているように思います。
どうぞ、そんな、仕合わせな空間を御一緒しませんか。

ご参加をこころからお待ちしております。


わらは猫もしあわせにします。


いよいよストローベイルの搬入

あと9時間ほどするとストローベイルの第1陣が善了寺に到着します。
26日は、いよいよワークショップにむけて、ベイルの搬入が始まります。

本日、聞思堂内に仮の床が一部張られました。
大工さん本当にありがとうございます。

今頃、夜をてっして、運送会社さんも運んでくれていることでしょう。
さあ、私も明日もばりばり働くぞ~

住職 合掌

今日は本当に日記風です。つぶやきで、ごめんなさい。

2011年10月25日火曜日

ドキュメント撮っています


今日の聞思堂は壺庭の軒先の屋根です。きれいでしょう。
少しづつでき上ってくるのが本当に楽しみです。大工さん棟梁ありがとうございます。壺庭のデザインもお楽しみに。

実は、聞思堂は大変貴重なみなさんの智慧が結集しているので、ドキュメントを撮っています。
この度、Ustreamに少しづつアップする事にしましたので、ブログとあわせてご覧ください。

聞思堂ドキュメント

本当に貴重な映像だと思います。第一弾です。大岩剛一先生のストローベイルについてのトークもあります。

私たちが、今年の5月に、栗駒木材さんと相根さんにご縁をいただき、東北に入らせていただいた時のインタビューや講演会の部分的な記録です。まだまだ、第一弾ですので貴重な映像がこれからも配信されると思います。今回は特に、相根さんのインタビューに注目してください。このインタビューを聴いていただくと、今回の建築がどうして栗駒山とつながっているのかよくわかると思います。

11月11日(金)には、善了寺にて、カフェ・デラ・テラにゲスト出演していただきます。詳細は後日アップします。震災後のインタビューです。とっても良くまとまっているので、是非ごらんください。

住職 合掌

聞思堂は里山的空間

今日は月曜日なので、定例会議がありました。大岩剛一先生がご出席くださり、
藁積みワークショップに向けていろいろなお話がありました。

いつも、会議後、大岩先生は京都に帰られる事がおおく、お忙しい中本当にありがたいと思っております。戸塚でいっぱい飲んでいただける時はご一緒して頂くのですが、その時に貴重なお話を沢山お聞かせいただけるので、住職の役得だと感謝しております。

今日のお話の中で一番こころに残ったのは、「善了寺は、里山的な空間なのだ」というお話でした。里山というと、戸塚では舞岡公園http://www.wetwing.com/myhill/guide/guide.html といった空間を思い起こしますが、今建てているお堂こそ、里山的空間であり、善了寺の境内地そのものが、里山的空間なのだと教えてくださいました。「はっと」しました。

聞思堂は、設計監理の大岩先生のおかげによりストローベイルを中心とした、木造建築であり、天然住宅の相根さんや非電化工房の藤村さんそして、辻先生のアドバイスをいただきながら、持続可能な有機的建築を目指しています。

生命のつながりを紡いでいく場所なのです。それは、具体的です。土の壁には、近所の生き物がつどってくるというのです。木々の香りが息づき、いろいろな生き物がつどう空間こそ、僕たち人間も安心してつどう事ができるのではないでしょうか。

あまりにも、排除しすぎてしまった・・・。確かに蚊をほっておくことはできません。かゆいですし実害もあります。しかし、そこで、当たり前ととるのか、学びにかえていくのか。大きな転換があります。単なる二者択一ではなく、多様な関係性をどのように作っていけるのか。

聞思堂は、蚊帳をつろうと今計画中です。生命の多様性は、関係性の多様性であり、そして、そこには文化の多様性が生まれてくるのではないでしょうか。

均質的なコミュニケーションほど脆弱なものはありません。
「里山的な空間」とは、私たちに目指す豊かさを示してくれているのだと思います。

住職 合掌

2011年10月23日日曜日

今日の聞思堂


実は最近調子に乗ってブログの宣伝をしてしいます。
初めてアクセスされたかたごめんなさい。
あまり期待しないで、気軽にアクセスしてください。よろしくお願いします。
さて、本日は雨の中、親方の仕事が光るところが沢山ありました。

僕はわくわくしています。みなさん戸塚にある聞思堂をよろしくお願い申し上げます。


 実は、本来はこんなことはしないそうです。このたびの建築では、基礎に使ったコンクリートを固めるために使った杉の木をできるだけ本建築の中に使っていただいています。基礎の写真を載せてなかったですかね。すみません。実は本当に素敵ですよ。聞思堂は、基礎コンクリートを固める段階から、いわゆる一般のコンパネ(合板や外材ベニヤ)を使わないで、宮城県栗駒山の杉で徹底しました。少しでも東北支援にしたいという思いとともに、外材を使った建築の問題点に気づかせていただいたからです。


生命のふるさとに気付かせていただきましょう。私たちは消費者ではありません。人間です。謙虚に人間であることを大切にさせていただきましょう。

消費を美徳とする文化は日本にはありませんでした。・・・・モッタイナイ
先日、亡くなられた。ワンガリ・マータイさんが大切にしてくださったことばです。

本当に国を守ることは消費することなのでしょうか。どうか考えてください。
こころからお願い申し上げます。

きれいごとではなく、みなさんとともに考えて歩んでいる事が、大きな流れを作っていくのだと思います。

住職 合掌






2011年10月21日金曜日

円形のお堂の難しさ

月末なので、お寺の新聞を編集しています。聞思堂への願い⑤はしばらくお待ちください
さて、言い訳をしつつも、今日の聞思堂のご報告です。
ストローベイルを積む円形部分に板がはられました。
実はこの板、予告通り、基礎コンクリートを固めた時に使った、枠の杉をリサイクルしています。
ちゃんと使われている事がうれしかったです。親方の写真もそのうち載せたいと思うのですが、かなりの職人肌・・・。実直に仕事をしてくれています。ブログにアップする写真を撮らせてくださいなどとふざけて言ったら、失礼かな~といつも躊躇しているのです。

でも、仕事は本当に丁寧にしてくれています。ありがたいです。木材を使って円形を出すのは本当に大変な事だと思います。それを、見事にされているので、経験と技術の素晴らしさに頭が下がります。

円形部分の大きな窓枠なんですが、この窓枠も円形に添っているのです。本当に御苦労かけています。窓は結構大きくとれているので、夏場の換気なども大きくとれそうです。この部分は木枠の窓になる予定なんですよ。

今夜の締めくくりは、トップライトをしたから撮影した写真です。きれいですよね。今夜は雨が降っているので、明日の作業はお休みかもしれませんが、木の構造の美しさをまじかでみることができる幸せを感じています。

完成が本当に楽しみです。藁積みワークショップ参加者のみなさんは、ライブで観ることができます。今だけですから、屋根はこれから、どんどんステキになります。一瞬一瞬を大事に楽しんでいきましょう。

また明日ご報告します。住職 合掌
このブログも広めてくれたらうれしいです。

2011年10月20日木曜日

今日の聞思堂

急に寒くなりました。みなさん体調管理お気を付けください。
防水シートで白く見える聞思堂

このショットを撮ることができるのは、庫裏の2階からなんです。後ろから見るとちょっと船みたいでしょう。本当によく設計されているお堂だと思います。大岩先生のセンスに頭が下がります。

庫裏にはデイサービスがあるので、建物の圧迫感は大変重要な課題でした。それを見事に解決しています。そして、お堂としての正面からの風格は保たれているのです。

いつも、大工さんが苦労されている姿を見ると、申し訳ないという感じですが・・・。本当にわくわくします。

今、上棟式の準備に入っています。10月29日3時~3時30分で行います。藁つみワークショップの初日でもあります。

是非お気軽にお越しください。住職 合掌

聞思堂への願い④~スローライフ・大転換の時代に~

自分自身が本当に多くの出遇いに導かれて、今ここに、建築のという大きなご縁をいただいているのだと感じています。
願いを言葉にしながら、自分自身が学びをいただいています。読んでくださる方々にも、お付き合いいただき心から感謝申し上げます。

さて、ここからは、聞思堂への願いを、『スローライフ100のキーワード』(辻信一著 弘文堂発行)にある、言葉をヒントに考えてきたいと思います。いままで、書いてきた先生方との出遇いとともに辻先生との出遇いも私の人生において大きな出遇いでした。

自分自身の思考の枠組みを転換していくというのは、大変なことであると思います。
今まで、そうやって生きてきた自分が根底から揺るがされていく、今までの自分自身では、想像すらできなかった、大きな転換は、「出遇い」によってもたらされているのだと思います。

親鸞聖人のお言葉の中に
「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。」
(ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。)
『顕浄土真実教行証文類』総序の文 (浄土真宗聖典 注釈版 4頁)

学生時代は、単なる文献との出会いという短絡な受け止めしかできませんでした。そうではなく、時代に流され、煩わしい悩みによって苦しむ私が、今ここに大きな転換をとげていく、存在そのものが転換されていく出遇い・・・それは、表面的で、直線的な時間と空間の理解をも超えて、今ここで遇うのだと思います。

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「言葉面にとらわれないで、言葉が運んでくれる思いや願いにこころを寄せていくとき絆は深まっていく。」とは、富田富士也先生から学ばせていただいた言葉です。こころを寄せていくという具体的な実践こそ、「聞く」ことだと思います。表面的な音を聞くという意味だけではありません。

聞く・・・ありのままに聞き、訊く・・・深めるために訊ね、そして、聴く・・・こころを聴く。

富田先生から学んだリスニングの基本です。単なるテクニックではなく、心を深め、価値観の大転回をもたらす出遇いを粗末にしない、実践そのものだと思います。

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「スロー」という言葉も私にとって、価値観の大きな転換でした。それは、生活の実際の場で、自分自身が問いかけられると同時に、今までの、学びがひろい視野をもって再び紡ぎなおされていく体験でもありました。

仏教学・真宗学を基礎としながら、カウンセリング・介護という実践的な学びを通し、はじめて、私の存在と環境は別物ではなく、今社会に起こっていることすべてが自分とつながりあっていることを学ぶ、最初の一歩を踏み出せたのだと思います。その大きな出遇いが辻先生との出遇いでありました。

立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。
(長田弘 「立ちどまる」より)

私自身走り続けている感が、今もあります。だからこそ、こころに響く詩なのだと思います。聞く事を粗末にしない生活は、立ち止まる生活であると思うのです。それは、今を粗末にしない生活であり、自分自身の生き方を問い続けていく生活でもあると思います。

気付かなかったことに気づかされていく生活です。
消費文化の枠組みに逃げ込んで、しかたない、しかたないと生きていく中で、私たちは、自分自身をまゆで包む蚕のように、同じ価値観でがんじがらめになっていないでしょうか。

一人ひとりが人生の主人公であり、世界を担っている尊い存在なのです。どこかのスパーマンがすべてをいいように解決してくれるのではありません。

聞思堂は立ち止まることのできる場所で、ありたいと思っています。宮城県栗駒山の杉の香りから東日本大震災の記憶をとどめ、私たちの生活のあり方そのものが、フクシマと直結していることをこころに刻んでいく場所。

それは、強迫的に追い込まれていく世界ではありません。
立ち止まるからこそ、自分自身の今の生活のあり方を振り返り、具体的に心を紡ぎ、絆をふかめ現地とつながることができる。「今、ここで何ができるのだろうと」考えことができる。

何もないからこそ、「ある」ことを問いつづけていくことができる。その意味を聴く世界が恵まれる.
そういう空間でありたいと思っています。そして、みなさんと一緒に、新しい価値観を共有できる場所でありたいと思います。

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安心して立ち止まり、安心して何もしない事ができるその根源は、「慈悲」です。だからこそ、お寺は、阿弥陀様の大慈悲を中心に成り立っているです。「すべてのお寺は平和のためにある」その根源をささえるものこそ「慈悲」なのです。慈悲の本質を支えるものが、存在論としての智慧であり、物事を関係性の上に立って、有機的に、ホリスティックに考えていく世界観なのです。

今夜もお付き合いいただきありがとうございました。
明日もまた考えていきたいと思います。

住職 合掌






























2011年10月18日火曜日

聞思堂への願い③~今を生きる、ライブ感を大切に~

トップライトの記事に載せた写真ですが、屋根が素晴らしいですよね。屋根板も天然杉です。とっても難しい仕事だと思います。しかし本当に実際できてみると完成が待ち遠しい。美しいシルエットです。本当に設計監理の大岩先生初め大工さん、幹建設さんには感謝でいっぱいです。私も一緒に作り上げているつもりですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

聞思堂構想の原点は、茶堂です。茶堂とは愛媛県を中心に点在している、お堂です。三方吹き抜けの小さなお堂です。Y150にも登場しました。くわしくは、カフェ・チャドーのブログhttp://ameblo.jp/cafe-chadeau/entry-10417762497.html
を読んでみてください。屋根のシルエットはこの茶堂をほうふつさせます。屋根の下が円形のホールになっているのですから、完成した時の姿が楽しみです。みなさんと是非ご一緒に作り上げていきましょう。実際に体験してみるとわくわく感が違います。是非、お越しください。

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さて、本日は、聞思堂への願いとして、デイサービス事業との関わりから思いを述べてみたいと思います。

「権威にならない。」というキーワードから出発して、誰もが人生の主人公としての主体性を取り戻していく場所として、お寺は存在しているのだと述べてきました。それは、「全てのお寺は平和のためにある」という言葉に集約されていきます。平和とは、自己中心的な発想のもとでは、成り立ちません。むしろ相互関係を社会の基本的な構造として、コミュニケーションの多様性の中で発想していかなくては成り立たないと思います。誰もがアーティストであり、誰もが平和を創り上げていく担い手なのです。

「他力本願」という言葉はよく誤解されて使われてしまうのですが、阿弥陀仏のすべての生命を救う「誰でもの救い」がその根源にあることを大事にしたいと思います。それは誰もが救いの目当てであり、だからこそ一人ひとりが気づき、目覚め、人生の担い手となる事がその願いの本質にあるのです。「他人まかせにする」という意味ではありません。むしろ、自己の尊厳を照らし出し、自己存在の本質に生きる他者の不可分な関係性に目覚め、その本質的な平和を求め非暴力を実践していく阿弥陀仏の願いに生きる事(願生)、実践そのものを表す言葉であるといえます。

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デイサービス事業は、お年寄りとともに歩む「生活の場」です。私はここを大事にしていきたいと思っています。何か、生活と切り離された場所として介護の現場をとらえていませんか。それは誤解なんです。カウンセラーを前にして、「カウンセリングしてください」と言っているのと似ています。ケアを受けるものと思ってしまいます。でも、私たちのケアは、むしろ生活の場を一緒に作り上げていくことにあります。人生の主人公はあくまでもお一人お一人なんですね。でも、それは孤立化させる事ではありません。ありきたりな個別ケアという孤人を生み出す事ではありません。関係の中に自己は存在しているのです。その自分や家族・社会との関係をとれなくなっている、バランスを失っている状態を関係障害を三好春樹先生は表現されています。主人公になるとはわがままをゆるすことではありません。関係の中で浮かび上がってくる事、光り輝くことなのです。※インドラの網という話がそのことをうまく表現されています。

※インドラの網・・・『華厳経』に説かれるインドラ網(もう)がある。「インドラ網」とは、インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網のことです。網の結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出すという深遠な世界を示す言葉です。一つの宝珠に宇宙のすべてが収まるというダイナミックな生命観を示しています。

あ~秋だから紅葉がみたいな~という思いをどう実現したらいいのか。一緒に考える。介護者は考える杖であるといいます。効率性と高速化とは無縁の世界です。むしろ、そういう世界から降りていくことが老いを迎えていく大事なプロセスなんだと思います。だからこそ、沢山の学びがあります。不自由になった身体で、お風呂に入るにはどうしたいいのか。物のように人間の身体を扱うと、自分の身体を痛めてしまいます。それぞれに限界があるからです。そこに、主体性が問われてきます。利用者さんと職員ではなく、おばあちゃんとおにいちゃんの関係が問われてくるということです。

私も今は現役でお風呂に入れていませんが、デイサービス開設当初はそれこそ何でもやりました。入浴介助もよくやっていました。楽しかったな~。住職とお風呂に入ることを誇りにしてくれている方や、住職に気を使ってお風呂に入ってくれる方・・・。お一人おひとり千差万別です。だからこそ、ライブが面白い・・・。

このライブ感の大切をデイサービスは教えてくれます。それは、「今を生きる」という感覚です。関係は生き物です。それはそうですよね。生きている者同士が関わっているわけですから。

聞思堂も単なる建設して終わるのではなく、今このライブを楽しむことができる建築なんです。それは、建築してからもライブを楽しむ呼吸する建築です。土壁は手間暇がかかります。ひびも入るでしょうし、付き合い方も様々だと思います。

建物に手間暇かけることを見失っていませんか。藁を積むこと。それは、私たちの身体性を取り戻す営みでもあるのです。そしてそれは、一人ひとりの主体性を引き出すことであり、むしろ主体的に関わることで、意味が明らかになってくるのだと思います。

「ブリコラージュ」(=手作り)という考え方を三芳春樹先生が大切にされています。私の介護観を育ててくださいました。

三好春樹先生 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/

介護はライブだからこそ面白い。そして、生命もライブなんですね。いつ死を迎えてもおかしくない。それは、単なるリスクではないのです。厳粛な生命のあり方をみすえていく時、今をいとおしく、大切にしていかなくてはならないと思います。

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聞思堂にも多くの方にかかわっていただきたいと思っています。でもそれは、主体的関わって欲しいのです。同じ貴重な人生の一こまをご一緒するのですから。

その一こまが、素敵な出会いになりますように・・・。いつでもライブを大切にできる場所。それが聞思堂に込めた願いでもあるのです。

今夜も付き合っていただきありがとうございました。
これからいよいよ、「スローライフ」辻信一先生と出会うことになります。
『スローライフ100のキーワード』を手掛かりに聞思堂への願いを深めてみたいと思います。

住職 合掌






トップライトがつきました

今夜は、まず工事の進捗状況報告から、本日ついにトップライトが設置されました。
実は10月29日から、第1期の藁積みワークショップが始まるので、それまでに屋根板と防水シートを張って雨水対策をしなければなりません。本当にタイトなスケジュールの中大工さんたちは親方初め大変な工事をよく引き受けてくださっています。ありがたいです。


美しい屋根の形が見えてきました。

トップライトをつけているところです。

 いつも撮影が夕方になってしまうのは、大工仕事が終わるころに、撮影しているからです。少しでも邪魔しないようにと思っているのですが、心はいつも現場にはりたくて仕方無いんです・・・。
やっぱり実際立っているところをみると一緒に大工さんと仕事できたらどんなにわくわくするだろうと思います。

今月29日から藁積みのワークショップが始まります。今日は、境内に土を保管する場所を作っていただきました。かなり広いです。本当にわくわくしてきました。

みなさん気軽に参加してください。こんな体験めったにできませんよ。そして、長き時を刻んでいくお堂とともに、悠久の歴史と自然のありがたさと匠の技に触れてみませんか。ご参加をお待ちしております。

住職 合掌



2011年10月17日月曜日

聞思堂への願い②~多様なコミュニケーションを大切にする場~

今日は定例の建築会議でした。実は、この建築会議、設計監理をお任せしている、大岩剛一先生のお弟子さんで、水野さんと粕川さんという素敵なお二人が会議をすすめてくれています。親方々と丁々発止の姿をみていると頼もしく、聞思堂にかける情熱を感じています。いつもありがとうございます。

会議のじゃまをしてはいけない・・・。専門的な話だからと・・・。つい席をはずしてしまうのですが、そういうところが、権威を勝手に作りだしているのだと、昨日のブログを書きながら思いました。ちょっと寂しかった自分の気持ちを大事にして、それをコミュニケーションの中で、表現していくことが大切だと思います。

「権威にならない。」とは同時に「権威を創りださない」ということ一つになっているのです。

ブログを書くことで、改めて、聞思堂の建築が様々なご縁の中で成り立っていることに気づかされました。やはり、思いを表現して言葉にすることは大切なことですね。

実は、私は住職になったばかりの頃、コミュニケーション不全の自分自身に気づかされた出会いがありました。教育カウンセラーの富田富士也先生との出会いでした。コミュニケーション不全とは、気持ちを聴く事ができない、せめいぎあって、おりあって、お互い様のコミュニケーションをとることができない私の姿でした。

富田富士也先生 http://www.kodomoforum.com/

2008年のブログhttp://zenryouji.blogspot.com/2008/02/blog-post_07.html
で先生を紹介しているのでよろしかったらその頃の文章を読んでみてください。
先生との出会いで、グループカウンセリングやグループエンカウンターの実践に出会い、人権教育の観点からも、コミュニケーションの問題に気付かせいただました。僕にとっては本当に深い学びでした。これからも学びを続けていきたいと思っています。

富田先生は、カウンセリングの一般化、大衆化を大切にされていました。専門家の技術論ではなく、カウンセリングマインドを誰もが持つこと、それが、現代社会におけるコミュニケーション不全を超えていくキーワードなのです。権威を創りだすのではななく、誰もが気持ちを聴きあう事のできる社会のありかた、そこには、資格や学歴ではなく、誰もが町のカウンセラーとして、生活レベルで助けあい支えあう事が出来るのだと思います。

「誰でも救い」という願いがここにも生きています。

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富田富士也先生の学びから、コミュニケーションをとることのできる空間の大切さを思います。

聞思堂の円形部分には、コミュニケーションを創っていきたいという住職の願いを込めています。向き合ってしまうと、逃げる事が出来なくなってしまいませんか。コミュニケーションもどこかで、自分を大事にできる空間が必要だと思うのです。円は、抜き差しならない関係を和らげてくれます。孤独なようで誰かとつながっている。つながりのなかにある生命の象徴という面もあり、またコミュニケーションから何かが生まれてくるという願いも込められています。

空間のあり方というのは、コミュニケーションにとってとても大切な意味を持っているのです。聞思堂には、建設の終盤に、石の縁側ができます。先日書いた穴太積みのお話です。あの空間は、コミュニケーションの多様性を受け止めていく空間として大岩先生に教えていただきました。

効率性からいえば円形は無駄ですね。効率的にならないのが実は、コミュニケーションだったのではないでしょうか。手間暇かけることで、見えてくるものがある。

縁側もコミュニケーションの場だったのです。今は、すぐに玄関に入らなくてはいけない建物が多くなりました。緩やかに間合いを取りながら、関係を紡いでいくことの重要性を、昔の建物はきちっと表現していたのです。

それは、一般家庭でのコミュニケーションの多様性を示しています。すなわち、社会におけるコミュニケーションの多様性でありましょう。だからこそ、いろいろな世代を受け止めていくことができたのだと思います。また、いろいろな生活文化を創りだしていけたのだと思います。芸術も専門家の持ち物ではなく、誰もがアーティストなのだと思います。縁側や円になって人が集まることによって、多様なコミュニケーションが生まれ、多様なカルチャーが生まれていった。

現代社会が、効率性や高速化を求めていくことによって、コミュニケーションの多様性を見失ってしまっているとしたら、「懐かしい未来」として、我々が学ぶべき先人が残してくれた生活文化は沢山あるのだと思います。生活そのものに息づく多様性こそ大切にしたいと思うのです。

権威にならない具体的なお寺のあり方として、街の縁側としての役割を担うことが聞思堂にこめた願いの一つです。

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思いをつらつら書いているので読みずらいと思います。ごめんなさい
繰り返しも多いと思うのですが、日記ですからご容赦ください。

今晩も付き合ってくださってありがとうございました。明日は、デイサービスへの思いを含めて書いてみたいと思います。

住職 合掌









2011年10月16日日曜日

聞思堂への願い①~権威にならないお寺を目指して~

今夜は日曜日です。建築もお休みで、日中ご法事があり、終わってから、
「土と平和の祭典」http://www.tanemaki.jp/saiten2011/
に出かけました。とっても天気が良くて、暑いくらいでしたが、ナマケモノ倶楽部のブースで、
聞思堂ワークショップの呼びかけをしてきました。

いろいろな方から声をかけていただき本当に、嬉しかったです。だからこそ、大事にしてきた私自身の願いを言葉にして伝えたいと思いました。辻先生からも、叱咤激励をいただき、11月のワークショップに向けて、願いをつづってみたいと思います。

ゆっくりお付き合いください。

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そもそもお寺とは私にとってどのような存在であるのか。

住職を継いだ当時、若かったからだと思いますが、
よく「初めからお坊さんになるつもりだったのですか?」と質問を受けました。
僕は、「父に反発し、京都に逃げ込んだ時、龍谷大学で師匠と出会い、それがお坊さんの道を歩む大事なご縁になりました。」と答えていました。父母には心から感謝していますが、学生当時は必死でした。その時、出遇ったのが浅井成海先生です。昨年急にご往生されました。毎月16日親鸞聖人の月命日とご一緒に、先生を偲び、月命日法要と輪読会を行っています。

その後ろ姿から、多くの学びをいただき、学部時代だけではなく、住職になってから、悩んでいた時に学ぶことの大切さを教えてくださり、学びのご縁を結んでくださったのも浅井先生でした。龍谷大学のドクターに住職になってから復学しました。

浅井先生は、いつも現実の生活と仏教を切り離すことなく、学びを深めておられました。
後ろ姿から、研究の基本姿勢において、学ぶ事の深さをご指摘くださり、常に原典にあたる事を注意されました。浮ついた論理の飛躍をご指摘くださると同時に、黙って聞いてくださる先生でもありました。

学恩に感謝せずにはおれません。その浅井先生が、龍谷大学を退官される学部の最後の授業でおっしゃったことばが

「権威にならない。」

というメッセージでした。今でも私の耳の底にこびりついております。「権威にならない。」というメッセージは、浅井先生が生涯貫かれた姿勢でもありました。

コミュニケーションにおいて、「権威」になるとはコミュニケーションの暴力化を意味すると思います。
「専門家」という存在も注意深く考えていかなくてはならないと思います。「権威」ということばの響きにある一方通行のコミュニケーションは、相互関係において成立する仏教の存在論とはまったく逆のあり方になってしまいます。親鸞聖人は、それを「学生沙汰(がくしょうざた)」(親鸞聖人御消息 第16通 浄土真宗聖典注釈版 771頁)として、学者ぶった議論をしてはならないとご指摘されています。

専門家の意義は、その専門性を汎用化させることにあるのではないでしょうか。誰もが得ることのできる智恵・誰もが使える技術としていく。そこにある願いは、希少性を生み出すことではなく。「誰でもの」救いがその本質にあるのだと思います。研究者も企業もその願いのもとで、活動していたのではないでしょうか・・・。

生老病死はだれもが体験していく、わが身の事実です。それが、一部の専門家によって、握りこまれていった時、私たちは生きている実感をゆだねてしまっているのではないでしょうか。しかも、そこには「お金」という存在を介在させてしまっているのです。お金によって、権威を身にまとっている錯覚に陥っていないでしょうか。

一人で生きていくことができない事実を、事実として受け止めていくとき、本当の学びが始まるのだと思います。

生まれるという生命の不思議、効率的な世界とは最も無縁のこの身体の事実・・・
不思議とは思考を停止することでなく、考えが及ばないことへの敬いの心でした。

病にかかる事、西洋医学だけでは解明する事の出来ないことが沢山あります。民間療法のなかにも学ぶべきことが沢山あります。一人ひとりが生命の事実と向き合っていく大切なご縁が、医療であったと思います。それが、権威によって握りこまれていく時代です。本当にそれが私たちの求めていく世界なのでしょうか。

老いもまた同じです。老いることの専門家は身近に沢山います。それが、病とおなじように一部の権威に握りこまれようとしています。ご本人の顔を思い浮かべながら、ケア会議ができているでしょうか。

「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」

清沢満之『清沢満之全集』第6巻50頁

という言葉が示すように、生きること死ぬことは、分離して考えるものではありません。しかし、権威を生み出す思考の構造は、生命を分断化させてしまいます。日ごろから、専門家に任せればいいという思考の枠組みにとらわれれば、抜け出すことはできないと思います。

人は一人で生きていくことはできません。また、全てを学びつくすこともできません。
愚かな存在であるからこそ、そこには、一方的なコミュニケーションではなく、共に学び、共に生きる世界が広がってくるのではないでしょうか。

仏教を専門家の世界として一部の僧侶が握りこんでいった時代にあって、親鸞聖人は「誰もが救われていく」という阿弥陀仏の願いを人生の根本に据えていかれました。浅井先生もその姿勢は同じでした。ですから、学びを握りこむことはありませんでした、いつも真摯に学生の問いと向き合い、全力で聞き、考えてくださっていました。(居眠りは結構晩年多かったですが・・・)

「誰もが救われていく」それは、「すべての人々の平和を願う」ことであり、「誰もが主人公の人生をおくることのできる社会を目指していく」ことにほかなりません。この願いを共有していくことこそ「開かれたお寺」ということだと思っています。

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ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
この続きもまたお付き合いいただければ幸いです。

住職 合掌










2011年10月15日土曜日

藁積みワークショップのご案内

<ワイワイ、藁わら ストローベイルの
“お堂”作りワークショップ@戸塚・善了寺>


カフェ・デラ・テラが様々なイベントを行っている善了寺。その境内に「聞思堂(もんしどう)」を建築中。東海道の宿場町として栄えていた江戸時代からの時を超えて、人にも環境にも優しい“ストローベイルハウス(藁の家)”のお堂が生まれます!

皆さんも歴史を感じながら、ストローベイルの“お堂”を一緒に作ってみませんか?作業は藁積み/土塗りを中心とし、他にも様々な作業があり、お年寄りからお子さんまでどなたでも参加して頂けます。


このお堂は、現代社会のなかでゆっくりと、人・生き物・自然すべての命とのつながりと感謝を取り戻すための建築です。今回の改装にあたって、ストローベイルハウスの第一人者である大岩剛一さんをはじめ、相根昭典さん(天然住宅)、藤村靖之さん(非電化工房)に協力して頂きました。


「すべてのお寺は平和のためにある」―みんなで作ったお堂が何百年も変わらずに、平和を願う場所であり続けますように願いを込めて。


 建築の様子はこちらよりチェックして頂けます^^*
(善了寺・成田住職ブログhttp://zenryouji.blogspot.com/
藁を積んで壁を作る・・滅多にない貴重な機会ですので、ぜひ皆様善了寺で藁まみれになりましょ^ご参加お待ちしております。


*ストローベイルとは・・・ストローベイルとは藁を圧縮・梱包した藁ブロックのこと。この藁のブロックを積み、上から土を塗った家をストローベイル・ハウスといいます。19世紀後半にアメリカで生まれ、およそ25年前から環境に負荷を与えない建築として世界中で注目を集めています。藁はもともと日本でも身近な素材として活用されてきました。稲藁はいつか土に還り、新たな生命を育む、環境循環型の素材です。

<ストローベイルワークショップ@戸塚・善了寺 以下詳細↓>
※要申込


■期 間 第1期 平成23年10月29日(土)~11月11日(金)まで
      第2期 平成23年11月14日(月)~11月24日(木)まで

※作業の進捗によって、工期は変わります。ご了承ください。

■場所:戸塚区善了寺(横浜市戸塚区矢部町125 JR・横浜市市営地下鉄「戸塚」駅下車徒歩5分)
歩き方:東口の大きなビル「modi」1階スターバックスを左折、ビル沿いに直進。つきあたりの交差点を右折して、東海道沿いを進み、左手に郵便局が見えたら、その少し先の細い坂道を上がると、本堂があります。地図:http://www.zenryouji.jp/syoukai.html


■日程:原則 集合:9時  解散:5時(作業初日10/29は上棟式の為14:30まで)
 作業時間(予定)10時~4時 お昼休み1時間 (作業前後にオリエンテーションあり)

*1日だけの参加、あるいはある時間帯だけの参加も歓迎です(但し当日参加もOK)

■費用:参加費 無料 (簡単な昼食のみ、こちらで用意させていただきます)
・宿泊希望の方は、周辺に旅館がありますので、ご希望の予算の宿をご紹介します。
・当日参加も可能ですが、場合によっては昼食は申し込み頂いた方優先とさせて頂きますのでご了承ください。

■服装・持ち物:特にマスク、軍手、タオル。動きやすく、汚れてもかまわない服装でお願いします。(更衣室あり)マイハシ・マイカップ・マイ皿などご持参ください。

■お申込方法・お問い合わせ:

たくさんのお申し込みありがとうございました。工事の進捗が計画よりも早く進行しています。それに伴いまして、ワークショップの参加募集を、第3次募集をもちまして、終了とさせていただきます。たくさんのご応募ありがとうございました。


お電話、ファックスまたはメールにて下記6点をお知らせください。折返し担当者より確認のご連絡を差し上げます。

1. お名前
2. 人数  
3. 参加者全員のお名前とご年齢とご住所
4. 前日、当日に連絡の取れる電話番号
5. 交通手段(注:境内内に駐車場はございません!お車の方はご注意ください) 
6. 参加希望日程 

■連絡先
●電話(事務局直通):080-6597-0166
(お手数ですが、留守電の場合はお名前と”藁積みワークショップの件”ということを残して頂くようお願い致します。事務局・石渡)
●善了寺  :045-881-0348
●ファックス:045-881-0379
●メール  :cafedelaterra@guitar.ocn.ne.jp

呼びかけ人:施 主 善了寺住職 成田智信
設計・監理:大岩剛一(一級建築士・成安造形大学造形学部教授・スローデザイン研究会代表)+スローデザイン研究会(http://www.slowdesign.net/index.html
建築アドバイザー:相根昭典(天然住宅 http://tennen.org/
・藤村靖之(非電化工房http://www.hidenka.net/ ) 

藁積みワークショップ運営:担当 NPO法人カフェ・デラ・テラ(http://www.cafedelaterra.org/ )

協 力:
戸塚宿東集会
とつか宿駅前商店会(http://totsukajuku-es.com/new/
ナマケモノ倶楽部(http://www.sloth.gr.jp/
有)カフェスロー(http://www.cafeslow.com/

ご連絡をお待ち申し上げております。




今日の聞思堂

今日は朝から雨でした。住職は、団体参拝の疲れがでて・・・ダウン気味でしたが
大工さんは、朝から雨が少し降っていても、作業に入ってくださいました。

ありがたいです。本当に頭が下がります。本日は、屋根をかけてくださる作業が中心でした。

足場がかかった正面です。


ホールの上部です。大工さんが帰られてから、撮影しています。栗駒山の杉板です。素敵ですね。
これからどんどんステキになりそうです。ただ、東北の木を使うことで、東日本大震災の記憶を刻んでいる事を忘れないようにしたいと思っています。私たちのできることを考え行動できる
そんなお堂にしていきましょう。


住職 合掌

2011年10月14日金曜日

久しぶりの建築報告

先ほどのブログにも書きましたが、京都に団体参拝に行っていました。
建築がどのくらい進んでいるか、とっても楽しみでした。足場が組まれて
屋根の木工事に入っていました。すごいです・・・。わくわくです。

坂を上がると杉の木の香りがします。みなさんも気軽に見学に来てください。
住職 合掌


屋根のトップライト付近の作業中です。急こう配なので足場からの作業です。

幹建設さんhttp://mikiken.co.jp/

ありがとうございます。住職合掌

親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にて

秋も深まってきた今日この頃、本当に体調管理が難しいですね。
先日、京都西本願寺で勤められている親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りしてきました。
善了寺のご門徒とご一緒に、参らせていただき、本当にありがたいご縁でした。

その際、善了寺聞思堂の建築を支える基壇に積まれる、穴太積みの町坂本と比叡山にお参りする事が出来ました。とても感動しました。親鸞聖人のご法要のご縁で、比叡山にお参りする事ができたからです。不思議なご縁を感じます。

基壇は寺院建築を支える重要な部分です。この基壇に比叡のお山を守ってきた美しい
穴太積みのご縁をいただくことができるとは、本当にありがたいと思います。

粟田建設   http://www.geocities.jp/awata_i/index2.html

比叡山の案内の方に粟田建設さんに来ていただく事を話したら、「それは本物だと」
絶賛してくれました。

記念に住職が感動した比叡山の石積みを何枚か載せておきます。
正式な穴太積みなのか、素人目の判断ですが、多分そうだろうと思いながら
ちょっと感動して写真を撮っています。


工事としては終盤来年の施工になると思いますが、是非みなさん楽しみにしてください。
穴太積みのワークショップも開催予定です。




2011年10月7日金曜日

建て方2日目

本日も晴天に恵まれ建て方がありました。
お寺の報恩講準備があったのでゆっくり観ることができずに残念でしたが、本日は
円形部分の木建てがメインの仕事でした。

お参りに来たご門徒もびっくりな表情、完成が楽しみですというご意見をたくさん
いただき、住職としてもうれしい限りです。

ご迷惑をかけますが、よろしくお願い申しあげます。
聞思堂は、お寺の多様性を生み出す場です。
是非、お参りください。

住職 合掌

2011年10月6日木曜日

いよいよ聞思堂(もんしどう)の建て方が始まりました

























見てくださいこの勇姿・・・。

本当に真剣に仕事されている方の姿はかっこいい

ぼく自身、深く反省しました。こういう後ろ姿を見せることができているのだろうかと・・・。


本当に建築現場は学ぶ事が多いです。皆さんも一緒に参加してみませんか。




このブログでは発登場の話題ですが、ただいま、善了寺では、聞思堂(もんしどう)というお堂を建築しています。本堂とともに学佛大悲心の場として広く活用していきたいと思っています。お寺だからこそ発信できる言葉があると思います。その学びを深めていく場として建築そのものから学んでいきたいと思っています。さて、本日建て方が始まったので、写真を掲載したいと思います。たくさん思いが詰まった建築です。ぜひ皆さんも気軽に立ち寄ってみてください。