2011年10月18日火曜日

聞思堂への願い③~今を生きる、ライブ感を大切に~

トップライトの記事に載せた写真ですが、屋根が素晴らしいですよね。屋根板も天然杉です。とっても難しい仕事だと思います。しかし本当に実際できてみると完成が待ち遠しい。美しいシルエットです。本当に設計監理の大岩先生初め大工さん、幹建設さんには感謝でいっぱいです。私も一緒に作り上げているつもりですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

聞思堂構想の原点は、茶堂です。茶堂とは愛媛県を中心に点在している、お堂です。三方吹き抜けの小さなお堂です。Y150にも登場しました。くわしくは、カフェ・チャドーのブログhttp://ameblo.jp/cafe-chadeau/entry-10417762497.html
を読んでみてください。屋根のシルエットはこの茶堂をほうふつさせます。屋根の下が円形のホールになっているのですから、完成した時の姿が楽しみです。みなさんと是非ご一緒に作り上げていきましょう。実際に体験してみるとわくわく感が違います。是非、お越しください。

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さて、本日は、聞思堂への願いとして、デイサービス事業との関わりから思いを述べてみたいと思います。

「権威にならない。」というキーワードから出発して、誰もが人生の主人公としての主体性を取り戻していく場所として、お寺は存在しているのだと述べてきました。それは、「全てのお寺は平和のためにある」という言葉に集約されていきます。平和とは、自己中心的な発想のもとでは、成り立ちません。むしろ相互関係を社会の基本的な構造として、コミュニケーションの多様性の中で発想していかなくては成り立たないと思います。誰もがアーティストであり、誰もが平和を創り上げていく担い手なのです。

「他力本願」という言葉はよく誤解されて使われてしまうのですが、阿弥陀仏のすべての生命を救う「誰でもの救い」がその根源にあることを大事にしたいと思います。それは誰もが救いの目当てであり、だからこそ一人ひとりが気づき、目覚め、人生の担い手となる事がその願いの本質にあるのです。「他人まかせにする」という意味ではありません。むしろ、自己の尊厳を照らし出し、自己存在の本質に生きる他者の不可分な関係性に目覚め、その本質的な平和を求め非暴力を実践していく阿弥陀仏の願いに生きる事(願生)、実践そのものを表す言葉であるといえます。

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デイサービス事業は、お年寄りとともに歩む「生活の場」です。私はここを大事にしていきたいと思っています。何か、生活と切り離された場所として介護の現場をとらえていませんか。それは誤解なんです。カウンセラーを前にして、「カウンセリングしてください」と言っているのと似ています。ケアを受けるものと思ってしまいます。でも、私たちのケアは、むしろ生活の場を一緒に作り上げていくことにあります。人生の主人公はあくまでもお一人お一人なんですね。でも、それは孤立化させる事ではありません。ありきたりな個別ケアという孤人を生み出す事ではありません。関係の中に自己は存在しているのです。その自分や家族・社会との関係をとれなくなっている、バランスを失っている状態を関係障害を三好春樹先生は表現されています。主人公になるとはわがままをゆるすことではありません。関係の中で浮かび上がってくる事、光り輝くことなのです。※インドラの網という話がそのことをうまく表現されています。

※インドラの網・・・『華厳経』に説かれるインドラ網(もう)がある。「インドラ網」とは、インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網のことです。網の結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出すという深遠な世界を示す言葉です。一つの宝珠に宇宙のすべてが収まるというダイナミックな生命観を示しています。

あ~秋だから紅葉がみたいな~という思いをどう実現したらいいのか。一緒に考える。介護者は考える杖であるといいます。効率性と高速化とは無縁の世界です。むしろ、そういう世界から降りていくことが老いを迎えていく大事なプロセスなんだと思います。だからこそ、沢山の学びがあります。不自由になった身体で、お風呂に入るにはどうしたいいのか。物のように人間の身体を扱うと、自分の身体を痛めてしまいます。それぞれに限界があるからです。そこに、主体性が問われてきます。利用者さんと職員ではなく、おばあちゃんとおにいちゃんの関係が問われてくるということです。

私も今は現役でお風呂に入れていませんが、デイサービス開設当初はそれこそ何でもやりました。入浴介助もよくやっていました。楽しかったな~。住職とお風呂に入ることを誇りにしてくれている方や、住職に気を使ってお風呂に入ってくれる方・・・。お一人おひとり千差万別です。だからこそ、ライブが面白い・・・。

このライブ感の大切をデイサービスは教えてくれます。それは、「今を生きる」という感覚です。関係は生き物です。それはそうですよね。生きている者同士が関わっているわけですから。

聞思堂も単なる建設して終わるのではなく、今このライブを楽しむことができる建築なんです。それは、建築してからもライブを楽しむ呼吸する建築です。土壁は手間暇がかかります。ひびも入るでしょうし、付き合い方も様々だと思います。

建物に手間暇かけることを見失っていませんか。藁を積むこと。それは、私たちの身体性を取り戻す営みでもあるのです。そしてそれは、一人ひとりの主体性を引き出すことであり、むしろ主体的に関わることで、意味が明らかになってくるのだと思います。

「ブリコラージュ」(=手作り)という考え方を三芳春樹先生が大切にされています。私の介護観を育ててくださいました。

三好春樹先生 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/

介護はライブだからこそ面白い。そして、生命もライブなんですね。いつ死を迎えてもおかしくない。それは、単なるリスクではないのです。厳粛な生命のあり方をみすえていく時、今をいとおしく、大切にしていかなくてはならないと思います。

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聞思堂にも多くの方にかかわっていただきたいと思っています。でもそれは、主体的関わって欲しいのです。同じ貴重な人生の一こまをご一緒するのですから。

その一こまが、素敵な出会いになりますように・・・。いつでもライブを大切にできる場所。それが聞思堂に込めた願いでもあるのです。

今夜も付き合っていただきありがとうございました。
これからいよいよ、「スローライフ」辻信一先生と出会うことになります。
『スローライフ100のキーワード』を手掛かりに聞思堂への願いを深めてみたいと思います。

住職 合掌