今夜は日曜日です。建築もお休みで、日中ご法事があり、終わってから、
「土と平和の祭典」http://www.tanemaki.jp/saiten2011/
に出かけました。とっても天気が良くて、暑いくらいでしたが、ナマケモノ倶楽部のブースで、
聞思堂ワークショップの呼びかけをしてきました。
いろいろな方から声をかけていただき本当に、嬉しかったです。だからこそ、大事にしてきた私自身の願いを言葉にして伝えたいと思いました。辻先生からも、叱咤激励をいただき、11月のワークショップに向けて、願いをつづってみたいと思います。
ゆっくりお付き合いください。
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そもそもお寺とは私にとってどのような存在であるのか。
住職を継いだ当時、若かったからだと思いますが、
よく「初めからお坊さんになるつもりだったのですか?」と質問を受けました。
僕は、「父に反発し、京都に逃げ込んだ時、龍谷大学で師匠と出会い、それがお坊さんの道を歩む大事なご縁になりました。」と答えていました。父母には心から感謝していますが、学生当時は必死でした。その時、出遇ったのが浅井成海先生です。昨年急にご往生されました。毎月16日親鸞聖人の月命日とご一緒に、先生を偲び、月命日法要と輪読会を行っています。
その後ろ姿から、多くの学びをいただき、学部時代だけではなく、住職になってから、悩んでいた時に学ぶことの大切さを教えてくださり、学びのご縁を結んでくださったのも浅井先生でした。龍谷大学のドクターに住職になってから復学しました。
浅井先生は、いつも現実の生活と仏教を切り離すことなく、学びを深めておられました。
後ろ姿から、研究の基本姿勢において、学ぶ事の深さをご指摘くださり、常に原典にあたる事を注意されました。浮ついた論理の飛躍をご指摘くださると同時に、黙って聞いてくださる先生でもありました。
学恩に感謝せずにはおれません。その浅井先生が、龍谷大学を退官される学部の最後の授業でおっしゃったことばが
「権威にならない。」
というメッセージでした。今でも私の耳の底にこびりついております。「権威にならない。」というメッセージは、浅井先生が生涯貫かれた姿勢でもありました。
コミュニケーションにおいて、「権威」になるとはコミュニケーションの暴力化を意味すると思います。
「専門家」という存在も注意深く考えていかなくてはならないと思います。「権威」ということばの響きにある一方通行のコミュニケーションは、相互関係において成立する仏教の存在論とはまったく逆のあり方になってしまいます。親鸞聖人は、それを「学生沙汰(がくしょうざた)」(親鸞聖人御消息 第16通 浄土真宗聖典注釈版 771頁)として、学者ぶった議論をしてはならないとご指摘されています。
専門家の意義は、その専門性を汎用化させることにあるのではないでしょうか。誰もが得ることのできる智恵・誰もが使える技術としていく。そこにある願いは、希少性を生み出すことではなく。「誰でもの」救いがその本質にあるのだと思います。研究者も企業もその願いのもとで、活動していたのではないでしょうか・・・。
生老病死はだれもが体験していく、わが身の事実です。それが、一部の専門家によって、握りこまれていった時、私たちは生きている実感をゆだねてしまっているのではないでしょうか。しかも、そこには「お金」という存在を介在させてしまっているのです。お金によって、権威を身にまとっている錯覚に陥っていないでしょうか。
一人で生きていくことができない事実を、事実として受け止めていくとき、本当の学びが始まるのだと思います。
生まれるという生命の不思議、効率的な世界とは最も無縁のこの身体の事実・・・
不思議とは思考を停止することでなく、考えが及ばないことへの敬いの心でした。
病にかかる事、西洋医学だけでは解明する事の出来ないことが沢山あります。民間療法のなかにも学ぶべきことが沢山あります。一人ひとりが生命の事実と向き合っていく大切なご縁が、医療であったと思います。それが、権威によって握りこまれていく時代です。本当にそれが私たちの求めていく世界なのでしょうか。
老いもまた同じです。老いることの専門家は身近に沢山います。それが、病とおなじように一部の権威に握りこまれようとしています。ご本人の顔を思い浮かべながら、ケア会議ができているでしょうか。
「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」
清沢満之『清沢満之全集』第6巻50頁
という言葉が示すように、生きること死ぬことは、分離して考えるものではありません。しかし、権威を生み出す思考の構造は、生命を分断化させてしまいます。日ごろから、専門家に任せればいいという思考の枠組みにとらわれれば、抜け出すことはできないと思います。
人は一人で生きていくことはできません。また、全てを学びつくすこともできません。
愚かな存在であるからこそ、そこには、一方的なコミュニケーションではなく、共に学び、共に生きる世界が広がってくるのではないでしょうか。
仏教を専門家の世界として一部の僧侶が握りこんでいった時代にあって、親鸞聖人は「誰もが救われていく」という阿弥陀仏の願いを人生の根本に据えていかれました。浅井先生もその姿勢は同じでした。ですから、学びを握りこむことはありませんでした、いつも真摯に学生の問いと向き合い、全力で聞き、考えてくださっていました。(居眠りは結構晩年多かったですが・・・)
「誰もが救われていく」それは、「すべての人々の平和を願う」ことであり、「誰もが主人公の人生をおくることのできる社会を目指していく」ことにほかなりません。この願いを共有していくことこそ「開かれたお寺」ということだと思っています。
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ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
この続きもまたお付き合いいただければ幸いです。
住職 合掌
「土と平和の祭典」http://www.tanemaki.jp/saiten2011/
に出かけました。とっても天気が良くて、暑いくらいでしたが、ナマケモノ倶楽部のブースで、
聞思堂ワークショップの呼びかけをしてきました。
いろいろな方から声をかけていただき本当に、嬉しかったです。だからこそ、大事にしてきた私自身の願いを言葉にして伝えたいと思いました。辻先生からも、叱咤激励をいただき、11月のワークショップに向けて、願いをつづってみたいと思います。
ゆっくりお付き合いください。
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そもそもお寺とは私にとってどのような存在であるのか。
住職を継いだ当時、若かったからだと思いますが、
よく「初めからお坊さんになるつもりだったのですか?」と質問を受けました。
僕は、「父に反発し、京都に逃げ込んだ時、龍谷大学で師匠と出会い、それがお坊さんの道を歩む大事なご縁になりました。」と答えていました。父母には心から感謝していますが、学生当時は必死でした。その時、出遇ったのが浅井成海先生です。昨年急にご往生されました。毎月16日親鸞聖人の月命日とご一緒に、先生を偲び、月命日法要と輪読会を行っています。
その後ろ姿から、多くの学びをいただき、学部時代だけではなく、住職になってから、悩んでいた時に学ぶことの大切さを教えてくださり、学びのご縁を結んでくださったのも浅井先生でした。龍谷大学のドクターに住職になってから復学しました。
浅井先生は、いつも現実の生活と仏教を切り離すことなく、学びを深めておられました。
後ろ姿から、研究の基本姿勢において、学ぶ事の深さをご指摘くださり、常に原典にあたる事を注意されました。浮ついた論理の飛躍をご指摘くださると同時に、黙って聞いてくださる先生でもありました。
学恩に感謝せずにはおれません。その浅井先生が、龍谷大学を退官される学部の最後の授業でおっしゃったことばが
「権威にならない。」
というメッセージでした。今でも私の耳の底にこびりついております。「権威にならない。」というメッセージは、浅井先生が生涯貫かれた姿勢でもありました。
コミュニケーションにおいて、「権威」になるとはコミュニケーションの暴力化を意味すると思います。
「専門家」という存在も注意深く考えていかなくてはならないと思います。「権威」ということばの響きにある一方通行のコミュニケーションは、相互関係において成立する仏教の存在論とはまったく逆のあり方になってしまいます。親鸞聖人は、それを「学生沙汰(がくしょうざた)」(親鸞聖人御消息 第16通 浄土真宗聖典注釈版 771頁)として、学者ぶった議論をしてはならないとご指摘されています。
専門家の意義は、その専門性を汎用化させることにあるのではないでしょうか。誰もが得ることのできる智恵・誰もが使える技術としていく。そこにある願いは、希少性を生み出すことではなく。「誰でもの」救いがその本質にあるのだと思います。研究者も企業もその願いのもとで、活動していたのではないでしょうか・・・。
生老病死はだれもが体験していく、わが身の事実です。それが、一部の専門家によって、握りこまれていった時、私たちは生きている実感をゆだねてしまっているのではないでしょうか。しかも、そこには「お金」という存在を介在させてしまっているのです。お金によって、権威を身にまとっている錯覚に陥っていないでしょうか。
一人で生きていくことができない事実を、事実として受け止めていくとき、本当の学びが始まるのだと思います。
生まれるという生命の不思議、効率的な世界とは最も無縁のこの身体の事実・・・
不思議とは思考を停止することでなく、考えが及ばないことへの敬いの心でした。
病にかかる事、西洋医学だけでは解明する事の出来ないことが沢山あります。民間療法のなかにも学ぶべきことが沢山あります。一人ひとりが生命の事実と向き合っていく大切なご縁が、医療であったと思います。それが、権威によって握りこまれていく時代です。本当にそれが私たちの求めていく世界なのでしょうか。
老いもまた同じです。老いることの専門家は身近に沢山います。それが、病とおなじように一部の権威に握りこまれようとしています。ご本人の顔を思い浮かべながら、ケア会議ができているでしょうか。
「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」
清沢満之『清沢満之全集』第6巻50頁
という言葉が示すように、生きること死ぬことは、分離して考えるものではありません。しかし、権威を生み出す思考の構造は、生命を分断化させてしまいます。日ごろから、専門家に任せればいいという思考の枠組みにとらわれれば、抜け出すことはできないと思います。
人は一人で生きていくことはできません。また、全てを学びつくすこともできません。
愚かな存在であるからこそ、そこには、一方的なコミュニケーションではなく、共に学び、共に生きる世界が広がってくるのではないでしょうか。
仏教を専門家の世界として一部の僧侶が握りこんでいった時代にあって、親鸞聖人は「誰もが救われていく」という阿弥陀仏の願いを人生の根本に据えていかれました。浅井先生もその姿勢は同じでした。ですから、学びを握りこむことはありませんでした、いつも真摯に学生の問いと向き合い、全力で聞き、考えてくださっていました。(居眠りは結構晩年多かったですが・・・)
「誰もが救われていく」それは、「すべての人々の平和を願う」ことであり、「誰もが主人公の人生をおくることのできる社会を目指していく」ことにほかなりません。この願いを共有していくことこそ「開かれたお寺」ということだと思っています。
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ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
この続きもまたお付き合いいただければ幸いです。
住職 合掌