今年は本当にみなさんにお世話になりました。ありがとうございました。
実はこの年末、亡くなる方が多いです。12月31日まで、お葬式です。今年最後の締めくくりに、大勢の方々の死と向き合う機会をいただいています。みなさん、どうか死を他人ごとにしない一年の締めくくりをしたいものです。3・11以降の日本はまさに、死と向き合う社会であったはずです。災害は数字ではないのです。人の命は単なる単位ではありません。
経済は、人を単位化することではないを思うのです。「経世済民」今だからこそこの言葉を大切にしたいと思うのです。世を治め人々を救う。カフェ・デラ・テラの活動はいつもこの視点を大事にしています。
それは、死から考える経済学と言えるのではないでしょうか。本当に、死を見据えて経済を考えているでしょうか。死が個人的なものであると思えば思うほど、死が単位化されていくのではないでしょうか。火葬場の空き状況が、死の単位になっていないでしょうか。
この年末どうかご一緒に、生命の尊厳を、死から考えていく年末を迎えていきたいと思います。
さて、久しぶりに聞思堂の情報です。実は工事が遅れています・・・。でも、親方は年末ぎりぎりまで仕事をしてくださいます。本当に頭が下がります。
建具が入りました~。木枠のドアなんですよ~。聞思堂の木は、低温乾燥によって、木の細胞が活動しているそうです。ありがたい言葉ですよね。裏を返せば木が暴れるということなんです・・・僕は大切なことだと思っています。自然とともにあること、それは、死を考えることであるとおもうのです。生きるとは何か、生命とは何かその根源を問い続けていけるのが、
「生きているから、死を迎えていく」という現前の事実です。
「聞思」とは、現前の事実から出発していこうという願いが込められています。どうぞご一緒に考えていきまししょう。
住職 合掌
実はこの年末、亡くなる方が多いです。12月31日まで、お葬式です。今年最後の締めくくりに、大勢の方々の死と向き合う機会をいただいています。みなさん、どうか死を他人ごとにしない一年の締めくくりをしたいものです。3・11以降の日本はまさに、死と向き合う社会であったはずです。災害は数字ではないのです。人の命は単なる単位ではありません。
経済は、人を単位化することではないを思うのです。「経世済民」今だからこそこの言葉を大切にしたいと思うのです。世を治め人々を救う。カフェ・デラ・テラの活動はいつもこの視点を大事にしています。
それは、死から考える経済学と言えるのではないでしょうか。本当に、死を見据えて経済を考えているでしょうか。死が個人的なものであると思えば思うほど、死が単位化されていくのではないでしょうか。火葬場の空き状況が、死の単位になっていないでしょうか。
この年末どうかご一緒に、生命の尊厳を、死から考えていく年末を迎えていきたいと思います。
さて、久しぶりに聞思堂の情報です。実は工事が遅れています・・・。でも、親方は年末ぎりぎりまで仕事をしてくださいます。本当に頭が下がります。
「生きているから、死を迎えていく」という現前の事実です。
「聞思」とは、現前の事実から出発していこうという願いが込められています。どうぞご一緒に考えていきまししょう。
住職 合掌