2011年12月3日土曜日

古今亭菊千代師匠落語会ご参加応援ありがとうございました。

本日は本当にお越しいただきありがとうございました。古今亭菊千代師匠の落語会盛況のうちに無事終えることができました。みなさんありがとうございました。


大勢のみんさんのご参加をいただきました。来年もやりますよ~
 前座を住職こと私がつとめさせていただきました。ホームのありがたさを実感しました。まったく私を知らない場所ではこうはならなかったでしょう。本当に本日ご参加してくださった方々のおかげで務めることができました。心から感謝申し上げます。

仏様のお話をする布教使として、ご縁を結ぶときは、やはり、初めて出遇う方々とご一緒ですから、それなりに緊張します。でも、御同朋御同行という世界があるので、最終的にはお念仏で紡がれていく世界があるわけです。京都のご本山で布教のご縁があっても同じです。それが布教使のありがたい世界なのです。

最近、変わったお寺ということで、他の業種の方から講演依頼があったりします。そんなときは、なんとなくアウェーな気がしますが、でも、伝えたい思い、そして、会場に来てくださったみなさんのご苦労とその願いを思うと、何か敵味方というような単純なカテゴリーではないと思います。特に、何かを聞いていただく、落語も講演も布教も共通する世界があるように思います。

あらためて、落語の文化の深さとともに、お説教から生まれている落語の経緯の深さを思いました。

私が、落語に出会ったきっかけは、前にも書いたかもしれませんが、カウンセリングなんですよ。富田富士也先生との出会いが大きいのです。http://www.kodomoforum.com/index.html

富田先生の同朋、荻野先生に歌舞伎と落語の世界の道標をつけていただきました。落語会も必ずそこにつなげていきたいと思います。私が前座をつとめさせていただいた古今亭菊千代師匠も手話落語をされています。本当に多くの方々とともに生きていこうとされるそのお姿に頭がさがります。

落語はそのライブ感で感じることも多いのですが、じっくりゆっくりセリフや情景を味わうことで、現代社会が忘れている大事なことを教えてくれます。非日常なのですが、本当に非日常という簡単なくくりでいいのだろうかとつくづく感じます。それは江戸文化に対しても同じ感覚です。ただ単に高尚な笑いではなく。そこに生きる人間模様、生活文化が今を照らす大きな力になると思うのです。

ひえ~なんかこんな感じ・・・眉ない~
今回させていただいた「元犬」という落語も、犬が人間になるというファンタジックな設定なのですが、随所に今では考えられない展開がちりばめられています。

神社の境内で真っ裸で、腰に一枚布を巻いているだけの青年に、声をかけられた旦那が、
「あ~悪い奴にでもひっかかったんだろう。かわいそうに・・・。」と戸惑いながらも世話してあげるのです。

今現在考えられませんよね。本当のセイフティーネットとは何かということを考えさせられます。
落語は江戸学と出会いそして、現代社会の様々な問題に出会うことで、大きな文化的な意味を持つと思います。

続きの考察はまた今度、本日は本当にありがとうございました。
決して落語家さんにはなれません・・・・・ご安心を