2012年1月14日土曜日

京都東山吉水の旅

先日1月12日~13日に本山でお勤めさせていただきました。12日には鎌倉組の新年会が出勤に奨励とかねて、開催されたので、前日入りしました。年末年始、忙しかったこともあり、ちょっと一息つきたいな~という思いもあり、前から泊まりたいと思っていた「お宿吉水」に宿をとりました。

京都 吉水 http://yoshimizu.com/kyoto/

前日の午後には京都入りして、少し早目でしたが宿に向かいました。円山公園を奥に進んでいくと高級料亭が立ち並ぶ一角。素敵なたたずまいの宿が見えてきました。

落ち着いた雰囲気のお宿でしょう
学生時代、随分京都にはいましたが、知りませんでした。円山公園の奥がこんなにも素敵だったとは・・・。オフシーズンということもあり、宿泊客が私だけだったのがまたありがたかったです。料金もシーズンオフ料金でした。スタッフの方が暖かく迎えてくださいました。おかみと築地吉水で知り合っていたので、ご本人は不在でしたが、楽しく談笑しました。


玄関入ったエントランス

一階にある素敵なカフェ

2階にのぼったところにちょっとした空間がおしゃれでしょう


テレビも冷蔵庫もあえておいてないんです。静寂が何よりの贅沢だと思いました。
静かでした・・・。本当に豊かな空間でした。聞思堂でも静寂を大切にしたいと思いました。空間に入っただけで落ち着くのです。スタッフのみなさんの配慮が感じられるお部屋でした。

ちょっと時間があったので、近隣の散歩に出かけました。実はここ吉水は親鸞聖人の教えを学ぶものにとっては重要な場所です。学生時代恥ずかしながら、一度も来たことがありませんでした。親鸞聖人が29歳で法然聖人と出会われ、35歳ごろまで、念仏の御教えを学ばれた吉水草庵の跡地がすぐ隣にあったのです。安養寺さんです。




本堂から振り返ると京都市内が一望できます。

すてきなお寺でした。今は、時宗のお寺さんです。深い歴史があるので、ぜひお参りください。親鸞聖人が、しあわせを実感された充実した時間を過ごした場所だと思います。私も、浅井先生がご往生されたからこそ、先生とともに学んだ時間がどれほどありがたくしあわせであったか、こころに染み込むお寺でした。素晴らしいお寺だったので、翌日の出勤前に、一緒に出勤を予定していた坊守を急きょ連れてお参りにいきました。ありがたいご縁でした。

安養寺さんはお宿吉水に向かって左側になるのですが、右に少し下ると長楽寺さんがありました。ここは、なんと隆寛律師のお寺であり、建礼門院徳子の出家されたお寺でもありました。壇ノ浦で助けられた建礼門院徳子は浄土教と出会っていくのでした。隆寛律師が37歳ごろになると思われます。親鸞聖人は大変隆寛律師を尊敬されておられました。隆寛律師も慈鎮和尚から天台を学ばれていることを思えば、親鸞聖人がお得度をされた師匠と同じですから、深いご縁を感じていたのかもしれません。

■隆寛律師(りゅうかんりっし)

 (1148-1227)法然上人門下の一人で、長楽寺流の祖。藤原少納言資隆の3男。比叡山で範源、慈鎮和尚(慈円)に師事して天台教学を学び、山を下って洛東長楽寺に住し、法然上人から浄土教をうけて念仏行者となる。法然上人没後、専修念仏教団の指導的地位にあったが、天台僧定照の『弾選択』に対して『顕選択』を著して反論し、これによって嘉禄3年(1227)念仏弾圧が起り、隆寛は奥州に遠流となった。しかし門弟西阿の斡旋で相模(現在の神奈川県)飯山に留り、同年没した。著書に『自力他力事』『一念多念分別事』などがある。(本願寺教学伝道研究所ホームページより)

長楽寺さんのお庭です。銀閣寺とご縁のある相阿弥が試作したと伝えられています。
親鸞聖人とご縁の深い吉水で、しかも、少欲知足を考えさせられる、お宿吉水・・・。素晴らしいほっと一息つける時間でした。また、京都に行きたくなるひと時でした。

聞思堂も着々と進んでいます。最近鍵がかかるようになったので、親方が帰ってからゆっくり侵入することができなくなりました。あしからず。また更新しますね。

合掌

おまけ画像・・・住職・坊守本山出勤の図 ちょっと照れます。