講座がおわりただ今帰りました。スタッフのみなさん・・参加者のみなさんありがとうございました。
いろんな研修が重なった日程だったのですが、お話しさせて頂く機会を得て本当にうれしかったです。
みなさんのおかげです。感謝ばかりです・・・。
お寺の空間以外でお話しできる機会に恵まれるのは本当に有り難いです。有ることが難しいことです。
今までも何回かありました・・・。でも今回は、結構緊張はしたけれど、いつもと同じ感じで話せていたのがうれしかったです。実は、結構一般の方に話すとき、仏教色をあまり出さないようにという一種の強迫的な感覚がありました・・・。でも、西千葉の村山さんに「お坊さんが仏教を隠すように発言してもかえって怪しまれると思いますよ・・・。」というご指摘を頂き、僕の存在に大乗仏教としての浄土真宗ははずせないのでそのことを素直に話しました。
自己開示できたのは、ある意味べてるにいったおかげだと思います。弱さの情報公開・・・実は、伝道しなければという強迫的な意識は、知らない人を創り出し・・・そこに押しつける形で、自分の現実と向きあわないそんな自分がいました。僕にとって仏教は僕の存在そのものを支える大切な教えです。それを政教分離や信教の自由など単語の上っ面しかみないで、法律を制定した時代の苦悩を見失って・・・自分を見失っていました。
今日は、素直に自分を語れたのではないかと思います。聴いてくれた皆さんはどう感じられたかな~
でも本当にこういう機会はありがたいです。さて・・・読んでいて何をしゃべったのか気になる方もいると思うので・・・当日に向けて準備したレジュメをあげておきます。長文なので読み飛ばして頂いても全然いいです・・・。
楽しかった~後半のワークショップもみなさんそれぞれにご発言くださってありがとうございます。
また、バージョンアップしてお会いしたいです。
住職 合掌
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2008年2月25日戸塚区区民企画運営講座事業
第4回「私にできる環境活動」講座
「地域の底力~煩わしさを超えてみんなで環境活動に関わることを粗末にしない地域を目指して~」
矢部町善了寺 住職 成田智信
本日のスケジュール
前 半 お話しと朗読・・・講義形式
後 半 参画型ワークショップ
はじめに
1,実は、住職なのにファーストだ~
僕にとって・・・「お坊さんは暇そうだね・・・暇でいいね~」は禁句でした。なんとも強迫的な・・ファーストな人生を送ってきたのでした。「坊主まるもうけ~冗談じゃないこんなに一生懸命働いているじゃないか~」休みもなく・・・休むことそのものができませんでした・・・。そうやって、次から次へと仕事を抱え込み自爆していく・・・「おっせかい症候群 自己爆発型」ともいうべき性格なんです。 そんなある時、連れあいが一冊の本を教えてくれました・・・。彼女もまた生活にいっぱい、いっぱいだった時、まわりの方からすすめられた本でした。
「スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化」辻信一先生の本です。
その辻先生と昨年たまたま、この戸塚で出会わせて頂きました。不思議な御縁です。そして先日、北海道へ一緒に旅行に行きました・・・。昨年の6月くらいに会っているので、会ってまだ8ヶ月くらいしかたっていません・・・。でも、本当に豊かな出会いをたくさんくださいました。これからも益々いろいろな関わりを頂くと思います・・・。
ファーストな生活を送っていた私は、辻先生と遇わなければスローダウンという言葉にも遇うことなく・・・環境問題も結構他人事でした・・・。
それは、あれだけ報道されれば無関心ではいられません・・でもどうしたらいいのか・・結局生活は今のまま継続されていくわけです・・・。
辻先生との出遇いは、ライフスタイルそのものが問われている・・・そうそれは、「人間をどう思っているのか」という問いにつながっている・・・「生きるってどんなこと。」偉そうにお説教しているだけがお坊さんじゃないでしょう・・・。そんな強烈なメッセージとなって、環境問題と自分のライフスタイルが結びついていきました。
2,関わりを粗末にしない仏教の教え
この出会のベースには、もちろん仏教の教えがあります。住職ですからちょっと仏教の話しをしますね。よく誤解されています。仏教は、物事を関わりの中で捉えていきます。ですから、関係から切り離された個人を想定しないのが仏教なんです。それを縁起の教えといいます。有名な「空」という思想は、龍樹菩薩がこの考え方を展開されたものです。私は浄土真宗のお坊さんですから、小さい頃から親鸞聖人を通して仏教と出会っていきました。だから、親鸞様の歩まれたお姿があります。そのお姿は、まさにいのちと関わることを粗末にしない歩みであったと思います。他力という言葉は人のふんどしで・・・という批判がよくありますが・・・どうなんでしょう。人と共に生きることなくしてどうして、人間といえるでしょうか。自分はさぼって、人をあてにすることが愚かなことと気づかされるのは、自立しなければという画一的で強迫的な空気の中で、気づかされるのではありませんね。あたりまえの助け合いの中で気づかされていくのでしょう・・・。気づくとは自分の能力ではなく関係の中で気づかされていくんです。関わりを粗末にしない、絆を紡いでいくことを大切にするのが仏教の本質なんです。だから、仏罰はありません。弱さを絆に転じていくことは、決して見捨てない大地の上でこそ成り立つからです。関わりを見据えていくことを智慧といい、決して見捨てることのない関係性そのものを慈悲というのだと思います。
3,学ぶことを学ぶ
そこが大地になりながら大勢の皆さんに学びました・・・。学ぶことを学ばせてくださったのが、
教育カウンセラーの富田富士也先生http://www.kodomoforum.com/でした。皆さん、学ぶこととはどんなことですか?考えてみてください。知識をため込むことですか?もうそれは、パソコンが外部化してくれていますね。本当に学ぶことってなんだろう。それをコミュニケーションの基本においてくださったのが、富田先生でした。
関わりの中で、「学ぶことは相手の存在を肯定することです。」あなたから学ぶことが何もないという言葉ほど傲慢な言葉はありません。そして、相手の存在を切り捨てる言葉もありません。「学ぶことはいのちを肯定していく営みです」学びがあるからこそ、批判が成り立つのです。まったく学びが無かったならば、それは存在の否定です。それは人間を見失うことにつながります。
4,生活を支える関係性関わりを粗末にしない
学びは、人間と向きあうことの尊さを教えてくれました。僕が介護の世界に入る切っ掛けなったのが、三好春樹先生http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/です。医療と看護と介護それぞれの問題点を「関係障害」という切り口で指摘されて、人間をトータルに捉えていく生活モデルの介護を実践されています。
自己決定ではなく、共同決定の原則というのがあります。・・・自己決定というけれど、「わしゃ死にたいんじゃ~」というおばあさんに包丁渡すのが介護ですか?ということです。だれも完璧な自己なんて持ってない・・・みんな関わりの中で七転八倒しながら生きているんです。だから、専門家というのは、人間を切り刻むのが専門家ではなく、専門家であればあるほど、人間を粗末にしてはいけない・・・関わることを見失ってはいけないと教えて頂きました。歳を重ねても、認知症になっても関わってくれる関係があることが大切なんです。一方的な関係ではなく、相互に関わることを粗末にしない関係が・・・
5,関係性の豊かさが環境問題を私の生活と結びつけていく・・・
・辻先生と北海道旅行記 ※べてるの家訪問記を参照してください
・スローダウンの朗読
・休憩時間にこの間のキャンドルナイト報告
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ワークショップ
1,バースデイライン
2,講義を聴いて、何を学びましたか(リスニングワーク)
3,介護実践としての人間の関わり方・・・生活モデルから考える環境問題
4,どう感じたか(シェアリング)
5,ハチドリワークショップ~自分のライフスタイルの中で考えよう~
6,ブラインドウォーク※願いを持ちながら目を閉じて歩いてみようそして、出会ってください。二人で感じを話してみてください・・・。
7,シェアリング(ひとり一人語る)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時間配分にもうちょっと工夫がいると思いました。ワークショップはドキドキです。自分の世界だけで講義している方が楽だけど・・・楽しくない・・・やっぱりライブは難しいとあらためて思いました。
最後までありがとうございました。
住職 再拝